写●眼を使う郭嘉(作者:プンち)
軍議を行う郭嘉(作者:プンち)
郭嘉の策がピタリとハマる瞬間(作者:プンち)
体調を崩してしまう郭嘉(作者:プンち)
郭嘉が亡くなり悲しむ曹操(作者:プンち)
姓名:郭嘉(かくか)
字 :奉孝(ほうこう)
生没年:170~207年
所属:曹操
紹介文:郭嘉奉孝(かくか・ほうこう)は、
曹操(そうそう)が最も将来を嘱望した軍師です。
主要な戦いで曹操の勝利に重要な役割を果たし、
早死にしなければ曹操に天下を取らせたと言われます。
潁川郡の出身で荀彧(じゅんいく)と同郷ですが、
若い頃から世を斜めに見る癖があり、不良成年でした。
一度、袁紹(えんしょう)にスカウトされた時にも、
「あいつは周公の真似して謙遜しているだけで、
本当は部下の値打ちを知らない、
あんな奴に仕えるのは嫌だ」と蹴っています。
その後、荀彧の推挙で曹操に会いますが、
いわゆるビビっと来たというヤツで
即座に意気投合し仕官します。
その頃、曹操は呂布(りょふ)と兗州で力の限り戦い
心身ともに疲れ果てていました。
そこで、一度停戦して兵を休ませようとしますが
郭嘉は反対します。
「呂布が弱っている今こそ、徹底して叩くべきです
停戦しては、回復の時を与えてしまうでしょう」
曹操は考え直し、苦労してさらに一撃加えると
呂布軍は崩壊して兗州から逃げ出しました。
その頃、江東では孫策(そんさく)の勢力が伸び、
許でも心配する者が多かったのですが
郭嘉は、それを一笑に付して言いました。
「孫策は短期間に多くの英傑を殺し、
その部下の恨みを買っているのに、
独断専行で無防備に原野を行きます。
近く、刺客の手に掛らない筈はない」
間も無く、孫策が許貢(きょこう)の食客に殺された
という情報がもたらされました。
ほとんど予言者のようなセリフです。
官渡の戦いで曹操が袁紹を撃破した後、
袁紹は敗戦のショックで死去します。
それを知った曹操軍の武将は、袁紹の本拠地を
攻めるべきと主張しますが郭嘉は制止します。
「袁紹は後継者を決めずに死去しました。
放っておけば、相互に殺し合いを始めます
攻めるなら、それからでいい」
曹操は、なるほどと思い様子を見ると
袁譚(えんたん)と袁尚(えんしょう)が
後継者を名乗り内乱に突入。
曹操は労せずして袁家の力を削ぎます。
西暦207年、袁尚と袁熈(えんき)は、
北へ逃亡して烏桓(うかん)族に頼りました。
曹操の部下達は、袁家は再起不能だから、
西の劉表(りゅうひょう)を打倒すべきと進言します。
しかし郭嘉は、烏桓族と袁家の絆は堅く
放置すれば騎馬兵と共に逆襲に来ると主張
病を押して従軍し、苦労の末に袁家を滅ぼします。
ですが、苦しい行軍で健康を損ねた郭嘉は、
37歳の若さで病死しました。
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