【漢】禰衡正平(でいこう・せいへい)
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2017
5
Dec
【漢】禰衡正平(でいこう・せいへい)

姓名:禰衡

字 :正平

生死年:173~198年

所属:曹操→劉表→黄祖

 

紹介文:禰衡正平(でいこう・せいへい)は三国志を代表する奇人です。

聡明な人物である一方で病的な毒舌が止まず、その為に自滅しました。

青州平原郡に生まれた禰衡は、幼い頃から聡明でしたが、才能を鼻にかけ

他人を見下す事が甚だしく、早速イロモノとしての評判が高くなります。

 

196年、曹操(そうそう)が許に献帝を迎え、新たな人材を求めると

禰衡も上京しますが、紹介状に書かれた文字が擦れて見えなくなっても

誰を訪ねるでもなく、宿舎で酒を飲んで過ごしていました。

 

ある人が心配し、どうして伝手を頼って仕官しないのかね?と聞くと

「あんたは酒売りや豚殺しのような賤しい奴らに頭を下げろと言うのか」と毒舌

 

別の人が「曹操や荀彧(じゅんいく)、趙融(ちょうゆう)は

一代の英雄だろう」と反論すると禰衡は

 

「曹操は大した事ない、荀彧は外見だけ、趙融はデブの大食漢だ

料理人にでもなれば繁盛するだろうぜ」と暴言を吐きます。

 

禰衡の歯に衣きせぬ暴言は、許の人々の憎しみを買いますが、

同時に、よく言ったと褒める人もいて、名声は広がっていきました。

 

当時、曹操に仕えていた孔融(こうゆう)は、禰衡に劣らない変人だったせいか

嫌われ者の禰衡を採用するように、何度も曹操に進言してベタ褒めしたので

曹操もその気になり召集しますが、禰衡は「私は発狂した」と言って辞退します。

 

曹操は言いたい放題の禰衡を懲らしめようと、太鼓の名手を自慢する禰衡に

自宅での演奏を頼みます、少しでも演奏を間違えば笑ってやろうと企んだのです。

禰衡は、秘技、漁陽參撾(ぎょようさんか)を披露して周囲を感動させますが

一か所、太鼓の演奏を間違えました、当時、演奏ミスは衣装を着替えるルールで

別室で着替えるように命じますが、禰衡はその場で全裸になり色々見せびらかし

太鼓を打って屋敷を悠々退出しました。

 

禰衡を諦めきれない孔融は、曹操と会見するよう禰衡を説得しセッティング

しかし、会見の当日、禰衡は案の定、約束時間をドタキャンした上に、

薄汚い恰好で曹操の屋敷の前に現れ、曹操を罵倒する言葉を吐き続けました。

 

これには曹操もブチ切れてしまい、騎兵を繰り出して禰衡を強制退去させ

荊州の劉表(りゅうひょう)の元に送りつけます。

禰衡は劉表には迎合しますが、群臣は相変わらず罵倒したので疎まれ左遷

次は江夏の黄祖(こうそ)に仕え、最期は黄祖に毒舌を吐き処刑されました。

 

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禰衡

姓名:禰衡

字 :正平

生死年:173~198年

所属:曹操→劉表→黄祖

 

紹介文:禰衡正平(でいこう・せいへい)は三国志を代表する奇人です。

聡明な人物である一方で病的な毒舌が止まず、その為に自滅しました。

青州平原郡に生まれた禰衡は、幼い頃から聡明でしたが、才能を鼻にかけ

他人を見下す事が甚だしく、早速イロモノとしての評判が高くなります。

 

196年、曹操(そうそう)が許に献帝を迎え、新たな人材を求めると

禰衡も上京しますが、紹介状に書かれた文字が擦れて見えなくなっても

誰を訪ねるでもなく、宿舎で酒を飲んで過ごしていました。

 

ある人が心配し、どうして伝手を頼って仕官しないのかね?と聞くと

「あんたは酒売りや豚殺しのような賤しい奴らに頭を下げろと言うのか」と毒舌

 

別の人が「曹操や荀彧(じゅんいく)、趙融(ちょうゆう)は

一代の英雄だろう」と反論すると禰衡は

 

「曹操は大した事ない、荀彧は外見だけ、趙融はデブの大食漢だ

料理人にでもなれば繁盛するだろうぜ」と暴言を吐きます。

 

禰衡の歯に衣きせぬ暴言は、許の人々の憎しみを買いますが、

同時に、よく言ったと褒める人もいて、名声は広がっていきました。

 

当時、曹操に仕えていた孔融(こうゆう)は、禰衡に劣らない変人だったせいか

嫌われ者の禰衡を採用するように、何度も曹操に進言してベタ褒めしたので

曹操もその気になり召集しますが、禰衡は「私は発狂した」と言って辞退します。

 

曹操は言いたい放題の禰衡を懲らしめようと、太鼓の名手を自慢する禰衡に

自宅での演奏を頼みます、少しでも演奏を間違えば笑ってやろうと企んだのです。

禰衡は、秘技、漁陽參撾(ぎょようさんか)を披露して周囲を感動させますが

一か所、太鼓の演奏を間違えました、当時、演奏ミスは衣装を着替えるルールで

別室で着替えるように命じますが、禰衡はその場で全裸になり色々見せびらかし

太鼓を打って屋敷を悠々退出しました。

 

禰衡を諦めきれない孔融は、曹操と会見するよう禰衡を説得しセッティング

しかし、会見の当日、禰衡は案の定、約束時間をドタキャンした上に、

薄汚い恰好で曹操の屋敷の前に現れ、曹操を罵倒する言葉を吐き続けました。

 

これには曹操もブチ切れてしまい、騎兵を繰り出して禰衡を強制退去させ

荊州の劉表(りゅうひょう)の元に送りつけます。

禰衡は劉表には迎合しますが、群臣は相変わらず罵倒したので疎まれ左遷

次は江夏の黄祖(こうそ)に仕え、最期は黄祖に毒舌を吐き処刑されました。

 

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