【魏】曹植子建(そうしょく・しけん)
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2017
31
Jul
【魏】曹植子建(そうしょく・しけん)

グレる曹植

漢詩を綴る曹植

才能が開花する曹植

実は脳筋だった曹植

姓名:曹植

字 :子建

生死年:192年~232年

所属:曹操→曹丕(魏)

 

紹介文:曹植子建(そうしょく・しけん)は豫州沛国譙県の出身です。

父は三国志の覇者曹操(そうそう)、母は卞(べん)氏で兄には曹丕(そうひ)、

曹彰(そうしょう)、弟には曹熊(そうゆう)がいます。

元々、母の卞氏は側室でしたが、正室の丁(てい)夫人が曹操と離婚したので、

卞氏が正室の地位に上げられて後継者候補と目されるようになります。

 

曹植は幼少の頃より詩文に天才的な才能があり、

同じく詩人として名を為した曹操に可愛がられたと言われています。

その事もあってか、曹植は自由奔放な性格に育ち、華やかさを嫌い、

質実剛健、そして酒と詩を愛するという天衣無縫ぶりを発揮します。

一見すると軟弱な詩人に見えますが、実は兄達と同様に14歳から従軍し

烏桓遠征、潼関の戦い、張魯征討など数多くの戦役に従軍しています。

 

曹植自身、詩は遊びだとしか思っておらず、側近の楊脩(ようしゅう)には

「男子の仕事は戦場で手柄を立てて、民を慈しんで善政を敷き、

国家を守る事に尽きる」と言い詩文には重きを置いていません。

 

曹操に愛され、将来の後継者と目された曹植ですが、

父の愛情への過信と生来の自由奔放な性格が凶と出てしまいます。

ある時、曹植は泥酔して、皇帝しか通れない門を馬車で爆走するという

大失態を侵してしまうのです。

 

ただでさえ、曹家一門の権勢が飛ぶ鳥を落す勢いの時代、

曹植の行動は思いあがった曹一門の暴挙として記憶されてしまい、

曹操も曹植を後継者に据える事を断念してしまいます。

 

やがて曹操が高齢化すると、宮廷は曹丕派と曹植派に分れて、

次の政権を握る為に鎬を削り始めました。

曹植には、丁儀(ていぎ)や楊脩(ようしゅう)が味方について

何度も曹丕の追い落としを謀りますが

西暦217年、曹操は曹丕を後継者に指名し全ては破滅しました。

 

曹植派の丁儀と弟の丁廙(ていい)は曹丕によって殺され、

揚脩はそれ以前に曹操により後継者争いの禍根を絶つ為に殺害されています。

 

曹植自身は、母の卞氏の嘆願もあり、殺されはしませんでしたが、

数年置きに領地を移されるなど、絶えず反逆者として警戒されます。

 

西暦226年に曹丕が崩御すると、曹植は甥に当たる曹叡(そうえい)に

政治に参加させてくれるように手紙を書きますが黙殺されました。

西暦230年、最愛の母、卞氏が亡くなると悲嘆に暮れた曹植は

酒浸りの生活を送り、40歳の若さで死去しました。

 

曹植子建に関するはじめての三国志の記事

 

グレる曹植

漢詩を綴る曹植

才能が開花する曹植

実は脳筋だった曹植

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才能が開花する曹植

実は脳筋だった曹植

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【魏】曹植子建(そうしょく・しけん)

曹植

姓名:曹植

字 :子建

生死年:192年~232年

所属:曹操→曹丕(魏)

 

紹介文:曹植子建(そうしょく・しけん)は豫州沛国譙県の出身です。

父は三国志の覇者曹操(そうそう)、母は卞(べん)氏で兄には曹丕(そうひ)、

曹彰(そうしょう)、弟には曹熊(そうゆう)がいます。

元々、母の卞氏は側室でしたが、正室の丁(てい)夫人が曹操と離婚したので、

卞氏が正室の地位に上げられて後継者候補と目されるようになります。

 

曹植は幼少の頃より詩文に天才的な才能があり、

同じく詩人として名を為した曹操に可愛がられたと言われています。

その事もあってか、曹植は自由奔放な性格に育ち、華やかさを嫌い、

質実剛健、そして酒と詩を愛するという天衣無縫ぶりを発揮します。

一見すると軟弱な詩人に見えますが、実は兄達と同様に14歳から従軍し

烏桓遠征、潼関の戦い、張魯征討など数多くの戦役に従軍しています。

 

曹植自身、詩は遊びだとしか思っておらず、側近の楊脩(ようしゅう)には

「男子の仕事は戦場で手柄を立てて、民を慈しんで善政を敷き、

国家を守る事に尽きる」と言い詩文には重きを置いていません。

 

曹操に愛され、将来の後継者と目された曹植ですが、

父の愛情への過信と生来の自由奔放な性格が凶と出てしまいます。

ある時、曹植は泥酔して、皇帝しか通れない門を馬車で爆走するという

大失態を侵してしまうのです。

 

ただでさえ、曹家一門の権勢が飛ぶ鳥を落す勢いの時代、

曹植の行動は思いあがった曹一門の暴挙として記憶されてしまい、

曹操も曹植を後継者に据える事を断念してしまいます。

 

やがて曹操が高齢化すると、宮廷は曹丕派と曹植派に分れて、

次の政権を握る為に鎬を削り始めました。

曹植には、丁儀(ていぎ)や楊脩(ようしゅう)が味方について

何度も曹丕の追い落としを謀りますが

西暦217年、曹操は曹丕を後継者に指名し全ては破滅しました。

 

曹植派の丁儀と弟の丁廙(ていい)は曹丕によって殺され、

揚脩はそれ以前に曹操により後継者争いの禍根を絶つ為に殺害されています。

 

曹植自身は、母の卞氏の嘆願もあり、殺されはしませんでしたが、

数年置きに領地を移されるなど、絶えず反逆者として警戒されます。

 

西暦226年に曹丕が崩御すると、曹植は甥に当たる曹叡(そうえい)に

政治に参加させてくれるように手紙を書きますが黙殺されました。

西暦230年、最愛の母、卞氏が亡くなると悲嘆に暮れた曹植は

酒浸りの生活を送り、40歳の若さで死去しました。

 

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才能が開花する曹植

実は脳筋だった曹植

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