【呉】孫権仲謀(そんけん・ちゅうぼう)
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2017
5
May
【呉】孫権仲謀(そんけん・ちゅうぼう)

藏覇にカンチョーされる孫権(作者:プンち)

かぼちゃを育てる孫権(作者:よりぶりん)

皇帝になることを決断する孫権(作者:プンち)

張昭がムカつきすぎてイライラしている孫権(作者:プンち)

孫権のこどもたち(作者:HMK DESIGN)

姓名:孫権(そんけん)

字 :仲謀(ちゅうぼう)

生死年:182~252

 

所属:孫策→君主(呉)

 

紹介文:孫権仲謀(そんけん・ちゅうぼう)は三国の一つ呉の君主です。

孫堅→孫策と繋がれた呉は、孫権の五十二年の治世で盤石になり

三国の一角を占めるに至りました。

 

劉備(りゅうび)や曹操(そうそう)に比べ、年齢が一世代下の孫権は

黄巾の乱にも反董卓連合軍にも関係なく登場するのは赤壁の戦いからです。

西暦208年、北方四州、涼州、荊州を併合した曹操は大軍を南下させ

孫権に対し、降伏か開戦か、あと大喬・小喬ウヒョ!と言います。

 

呉では、重臣張昭(ちょうしょう)・張紘(ちょうこう)を中心に

殆どの家臣が降伏派でしたが、

呉に降伏されると人生が詰んでしまう劉備が

諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)を呉に派遣。

 

主戦論を唱える魯粛(ろしゅく)周瑜(しゅうゆ)と共に

劉備&孫権の連合軍で曹操と戦う事を主張します。

繰り返される議論に飽きた孫権はオシッコの為に席を外すと、

すかさず魯粛が、オシッコしている孫権に熱心に主戦論を説きます。

 

これにグッと来た孫権は開戦を決意、赤壁の戦いを起こし

色々疲れていた曹操軍を撃破、呉は領地を守り

劉備は火事場泥棒で荊州南郡を手に入れました。

 

しかし、よく考えると、戦争の功労者である呉が特に領土も得られず

何もしなかった劉備だけが得をしている事に孫権は不満を持ち、

「ゴルァ!荊州南郡返せ」と率直に劉備に言います。

 

劉備は、益州を手に入れたから返すと詫びますが

実際は益州を手に入れても、泥棒劉備は荊州を返しませんでした。

「だって、天下三分の計には荊州要るモン てへぺろです」

 

 

その間、孫権は魏との国境線、合肥城を攻めますが勝てず

魏の猛将、張遼(ちょうりょう)には討ち取られる寸前まで追い詰められ

「知らなかった、あの胴長短足が孫権か?」等と言われ

ちょっとスイートペインでした。

 

その後、いつまでも荊州を返さない劉備に激怒した孫権は、

密かに魏と結び、呂蒙(りょもう)が魏将曹仁(そうじん)が守る樊城を

包囲する関羽を背後から襲って破り処刑して荊州を奪います。

 

これに劉備が激怒して大軍を興してくると、

ビビった孫権は、曹丕(そうひ)に呉王に任命してもらい保険を掛け

陸遜(りくそん)を起用して劉備軍を火攻めで撃破します。

 

関係が悪化した蜀と呉ですが、劉備の死後には、

関係修復が行われ、呉は安定期を迎えます。

しかし、老衰した孫権は後継者指名などで優柔不断を起こし

家臣は二分され孫権の死後は不安定な政権運営を余儀なくされます。

 

孫権仲謀に関するはじめての三国志の記事

 

藏覇にカンチョーされる孫権(作者:プンち)

かぼちゃを育てる孫権(作者:よりぶりん)

皇帝になることを決断する孫権(作者:プンち)

張昭がムカつきすぎてイライラしている孫権(作者:プンち)

孫権のこどもたち(作者:HMK DESIGN)

 

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藏覇にカンチョーされる孫権(作者:プンち)

かぼちゃを育てる孫権(作者:よりぶりん)

皇帝になることを決断する孫権(作者:プンち)

張昭がムカつきすぎてイライラしている孫権(作者:プンち)

孫権のこどもたち(作者:HMK DESIGN)

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2017
5
May

【呉】孫権仲謀(そんけん・ちゅうぼう)

孫権

姓名:孫権(そんけん)

字 :仲謀(ちゅうぼう)

生死年:182~252

 

所属:孫策→君主(呉)

 

紹介文:孫権仲謀(そんけん・ちゅうぼう)は三国の一つ呉の君主です。

孫堅→孫策と繋がれた呉は、孫権の五十二年の治世で盤石になり

三国の一角を占めるに至りました。

 

劉備(りゅうび)や曹操(そうそう)に比べ、年齢が一世代下の孫権は

黄巾の乱にも反董卓連合軍にも関係なく登場するのは赤壁の戦いからです。

西暦208年、北方四州、涼州、荊州を併合した曹操は大軍を南下させ

孫権に対し、降伏か開戦か、あと大喬・小喬ウヒョ!と言います。

 

呉では、重臣張昭(ちょうしょう)・張紘(ちょうこう)を中心に

殆どの家臣が降伏派でしたが、

呉に降伏されると人生が詰んでしまう劉備が

諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)を呉に派遣。

 

主戦論を唱える魯粛(ろしゅく)周瑜(しゅうゆ)と共に

劉備&孫権の連合軍で曹操と戦う事を主張します。

繰り返される議論に飽きた孫権はオシッコの為に席を外すと、

すかさず魯粛が、オシッコしている孫権に熱心に主戦論を説きます。

 

これにグッと来た孫権は開戦を決意、赤壁の戦いを起こし

色々疲れていた曹操軍を撃破、呉は領地を守り

劉備は火事場泥棒で荊州南郡を手に入れました。

 

しかし、よく考えると、戦争の功労者である呉が特に領土も得られず

何もしなかった劉備だけが得をしている事に孫権は不満を持ち、

「ゴルァ!荊州南郡返せ」と率直に劉備に言います。

 

劉備は、益州を手に入れたから返すと詫びますが

実際は益州を手に入れても、泥棒劉備は荊州を返しませんでした。

「だって、天下三分の計には荊州要るモン てへぺろです」

 

 

その間、孫権は魏との国境線、合肥城を攻めますが勝てず

魏の猛将、張遼(ちょうりょう)には討ち取られる寸前まで追い詰められ

「知らなかった、あの胴長短足が孫権か?」等と言われ

ちょっとスイートペインでした。

 

その後、いつまでも荊州を返さない劉備に激怒した孫権は、

密かに魏と結び、呂蒙(りょもう)が魏将曹仁(そうじん)が守る樊城を

包囲する関羽を背後から襲って破り処刑して荊州を奪います。

 

これに劉備が激怒して大軍を興してくると、

ビビった孫権は、曹丕(そうひ)に呉王に任命してもらい保険を掛け

陸遜(りくそん)を起用して劉備軍を火攻めで撃破します。

 

関係が悪化した蜀と呉ですが、劉備の死後には、

関係修復が行われ、呉は安定期を迎えます。

しかし、老衰した孫権は後継者指名などで優柔不断を起こし

家臣は二分され孫権の死後は不安定な政権運営を余儀なくされます。

 

孫権仲謀に関するはじめての三国志の記事

 

藏覇にカンチョーされる孫権(作者:プンち)

かぼちゃを育てる孫権(作者:よりぶりん)

皇帝になることを決断する孫権(作者:プンち)

張昭がムカつきすぎてイライラしている孫権(作者:プンち)

孫権のこどもたち(作者:HMK DESIGN)

 

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